モーツァルト:初期弦楽四重奏曲集 (第1〜13番) フェシュテティチQ (HCD31443・3CD)
曲目・演奏者
●モーツァルト:
[1] 弦楽四重奏曲第2番ニ長調 K.155 (134a)
[2] 同 第3番ト長調 K.156 (134b)
[3] 同 第4番ハ長調 K.157
[4] 同 第5番ヘ長調 K.158
[5] 同 第6番 変ロ長調 K.159 §
[6] 同 第7番 変ホ長調 K.160 (159a)
[7] 同 第1番ト長調 K.80 (73f)
[8] 同 第8番ヘ長調 K.168
[9] 同 第9番イ長調 K.169 §
[10] 同 第10番ハ長調 K.170
[11] 同 第11番 変ホ長調 K.171
[12] 同 第12番 変ロ長調 K.172
[13] 同 第13番ニ短調 K.173
■フェシュテティチQ〔イシュトヴァーン・ケルテシュ,エリカ・ペテーフィ,ペーテル・リゲティ,レジェー・ペルトリニ〕 (古楽器使用)
ディスク・データ
CD// 海外盤 {DDD} HUNGAROTON*HCD 31443〜5 (3枚組)
発売:91年/録音:記載なし/収録時間:70+67+69分
△ディスク=Manufactured by VTCD in Hungary
コンディション
◇ディスク:1)B/ スリキズ部分的にあり(強め含む・小さめ*動作確認済) // レーベル面中心部他に小スリキズあり,2,3)A〜A-/ 点キズわずかにあり
◇ブックレット:A-〜B+/ シワ少しあり / 表紙金色のため薄汚れあり
◇プラケース:B+
◇フロント・インレイ金色部分に薄汚れあり / バック・インレイ白地部分に変色あり(軽め)
録音データ・その他
☆録音時期, 場所記載なしのディジタル録音。1900年頃? (P, E) フェレンツ・ペーチ。
−モーツァルトは1772年 (16歳)、父レオポルトとともにオペラ「ルーチョ・シッラ」K. 135 上演のためにイタリア・ミラノへ旅行しましたが、旅の途中でモーツァルトは気晴らしをするように交響曲や弦楽四重奏曲などの作曲をおこないました。この時生まれたのが [1-6]第2番から第7番までの6曲の弦楽四重奏曲で、通称「ミラノ四重奏曲」と呼ばれます。いずれも急-緩-急の3楽章からなります。一方 [7]第1番は1770年3月 イタリアのローディで作曲。作曲開始はミラノ四重奏曲より早いのですが、最初の3楽章を書き上げたあとそのまま作曲を中断。終楽章を書き上げたのは3年後の1773年のウィーン (あるいは1774年 ザルツブルク?)になってからでした。フェシュテティチQは完成時期を重視し、曲順をミラノ四重奏曲の後に置いたのでしょう。
−[8-13]第8〜13番は1773年 (17歳) 7月から9月までウィーンに滞在した際に作曲されたことから「ウィーン四重奏曲」と呼ばれています。全て4楽章形式で書かれており、第2楽章か第3楽章にメヌエットを置くという典型的な古典派の弦楽四重奏曲の形式で書かれています。曲の構成はミラノ四重奏曲よりも緻密になり、作曲技法の進歩にはハイドンの弦楽四重奏曲集 Op.17 や「太陽四重奏曲」Op.20 の影響があると考えられています。特に初期の弦楽四重奏曲で唯一の短調の作品である [13]第13番は半音階的な進行が随所に見られ、また終楽章のフーガが用いられるなど、モーツァルトが後に得意とし、名作を生み出したた作風が見られ、同年に作曲された交響曲第25番ト短調 K. 183 とともに初期を締めくくる傑作に数えられています。特に終楽章は後年おこなったバッハのフーガ研究を思わせます。
−当アルバムはモーツァルト没後200年記念として録音されたもの。木質を思わせる柔らかな響き、ノンヴィヴラートの透明感。薄味、小味で、じっくり味わわないとなかなか味がせず、完全にヴェテラン・ファン向きですが、ロマン的な味付けを廃した演奏によって曲の本来の姿を見るかのようです。−4人の使用楽器掲載。17〜18世紀に制作されたものです。ピッチは a=412Hz。−ところで曲によってはまるで教会で演奏しているように残響が多いですが、録音場所は複数あるのでしょうか。−フェシュテティチQは後期弦楽四重奏曲 (第20〜23番) をarcanaに録音しています (ハイドン・セットは録音していないのでしょうか?)。
−どういうわけか、ジャケット面上部のレーベルロゴはシールで貼られたもので、やや斜めに傾いています。
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