ブリテン:ヴァイオリン協奏曲,ラッブラ:交響曲第5番 他 オロフ(vn) バルビローリ=ハレo (CDM566053)未開封
曲目・演奏者
●[1] ラッブラ:「別れを惜しんで」(ファーナビーによる即興曲)
[2] ブリテン:ヴァイオリン協奏曲 Op.15 (原典版)
[3] ヘミング (コリンズ編):戦死した兵士のための哀歌
[4] ラッブラ:交響曲第5番 変ロ長調
■ジョン・バルビローリ指揮 ハレo [2]テオ・オロフ(vn)
ディスク・データ
CD// 海外盤 {MONO/ ADD} EMI*CDM 5 66053 2
発売:97年/録音:[1,4]1950, [2]48, [3]45年/収録時間:71分
△ブリティッシュ コンポーザー・シリーズ △プラケース=ハード・タイプ
コンディション
◆未開封品
録音データ・その他
☆[1,4]1950. 12 ロンドン・アビー ロード スタジオ,[2]1948. 4,[3]1945. 3 以上マンチェスター・ホールズワースにおける録音。(P) [1,4]デイヴィッド・ビックネル, [1,2,4]ローレンス・コリングウッド,[3]ウォルター・レッグ 、(E) [1,4]アーサー・クラーク,ロバート・グーチ,[2,3]アーサー・クラーク。
−盛りだくさんの内容、そして驚きが多いわたくし大注目のアルバムです。やはりまずは[2]のオロフから。オロフはドイツ出身 (1924-2012)。ユダヤ系であったことからナチスを嫌って1933年 オランダに移住。1951年 エリザベート王妃国際音楽コンクールで4位入賞し、その年に同門のヘルマン・クレバースとハーグ・レジデンティ管の共同でのコンサートマスターに就任。その後 クレバースの後を継いで1974年から85年までアムステルダム・コンセルトヘボウ管のコンマスをつとめました。その就任の年くらいに録音したバッハの無伴奏がマニア・アイテムとして有名ですが、エリザベート・コンクールに入賞する前年という若き日にバルビローリとの共演があったとは! しかも近年 やっと録音が増えてきた名作中の名作ブリテンのヴァイオリン協奏曲です。この曲は1940年初演で、指揮はバルビローリ (&NYP) でした。その8年後の録音で、オケにはまだ現代音楽であった名残が聞かれるものの、若きオロフは生硬なところがないどころか、この曲の戦争を想起させる狂気や鎮魂を見事に表現しています。なおブリテンはこの曲を1958年に改訂していますが、その前の録音ですので原典版です。大きな改訂はないもよう。−ブックレットには若き日のオロフの肖像が掲載されています。
−さて[3]はマイケル・ヘミングはイギリス出身 (1920- 42)。彼の父はイングリッシュ ナショナル オペラのバリトン歌手 パーシー・ヘミング。パーシーがこのオペラ ハウスで歌っていた頃、バルビローリはここの指揮者のひとりで、ふたりは親しかったとのこと。息子マイケルは王立音楽アカデミーで指揮を学び、親のつてもあってかバルビローリのアシスタントになる予定でしたが 出兵し、第二次大戦の北アフリカ戦線で戦死してしまいました。彼の私物が家に帰ると、音楽のスケッチがありました。父はそれをバルビローリに見せると、バルビローリは作曲家であり指揮者であるアンソニー・コリンズに曲にするように依頼。そうして出来上がった曲が[3]というわけです。6分半ほどですが、ずっと遅いテンポのメランコックな曲。初演は1944年 バルビローリ指揮ハレ管。当録音はその翌年のものです。
−[1,4]のエドムンド・ラッブラはイギリスの作曲家 (1901- 86)。ホルスト、シリル・スコット、V・ウィリアムズらに学びました。交響曲を11曲作曲。[1]はイングランドのバロック時代の作曲家ファーナビーのヴァージナル曲 (チェンバロの一種) を弦楽合奏曲としたもの (インプロヴィゼイション)。遅いテンポのメランコリックな曲。−[4]は1948年作曲。比較的平明な作風で、イギリス民謡や田舎の風景を思わせるスケルツォ的な第2楽章、イギリス伝統の舞曲をもとにした軽快なリズムを用いた第4楽章など大変 魅力的ですが、第3楽章: グラーヴェがまるで真摯な祈り、追悼の音楽のよう。一見バラバラに見えるこのアルバムのカップリングにはそうした曲を集めるという意図があるのかもしれません。
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