ブラームス:ヴァイオリン協奏曲,ショーソン:詩曲 ジンバリスト,ザイデル(vn) /L (EKR1401)
曲目・演奏者
●[1] ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 Op.77
[2] ショーソン:詩曲
■[1]エフレム・ジンバリスト(vn) セルゲイ・クーセヴィツキー指揮 ボストンso
[2]トーシャ・ザイデル(vn) レオポルド・ストコフスキー指揮 ハリウッド ボウルso
ディスク・データ
CD// 海外盤 {MONO/ ADD} EKLIPSE*EKR CD 1401
発売:--年/録音:[1]1946, [2]45年/収録時間:61分
△ディスク中心部に PILZ の刻印あり (ドイツ)
コンディション
◇ディスク:A
◇ブックレット:A-〜B+/ 小シワ, 軽シワ少しあり
◇プラケース:A-〜B+
録音データ・その他
☆[1]1946. 3. 30 場所不明,[2]1945. 7. 22 ロス アンジェルス フィルハーモニックにおける録音。
−[1]のジンバリストはロシア南西部の都市ロストフ オン ドン生まれ (1889- 1985)。両親はユダヤ人。少年時代から才能を発揮し、12歳でサンクト ペテルブルク音楽院に入学してレオポルド・アウアーに師事。1907年 金メダルとルービンシュタイン賞を受賞して同音楽院を卒業し、同年 ベルリン・フィルとブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏してベルリン・デビューを果たしたほか、ロンドンでもデビューしました。1910年 アルトゥール・ニキシュ指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管と演奏したチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は高い評価を得、若くして世界的なヴァイオリニストのひとりとなりました。1911年 ボストン響でグラズノフのヴァイオリン協奏曲を演奏してアメリカ・デビュー。アメリカでの成功を受けて、ジンバリストはアメリカに移住し、すぐに帰化しました。1922年4月 来日。1949年にヴァイオリニストを引退しましたが、1952年に復帰し、1955年に再び引退しました。−1928年 カーティス音楽院のヴァイオリン・クラスの学部長に就任し、1941年から1968年まで院長をつとめました。名教師として知られ、アーロン・ロザンド、オスカー・シュムスキー、ジョセフ・シルバースタイン、ヤッシャ・ブロツキー、フェリックス・スラットキン、シュムエル・アシュケナージなど、著名なヴァイオリニストを育てました。
−当演奏を聞きますと、ハッタリやショウマンシップ的なところがなく、非常に理知的。丁寧で美しい音への意識が高かったようです。名教師となったことが納得できるような演奏です。カデンツァはジンバリスト作でしょうか。クーセヴィツキー&ボストン響の品ある伴奏もいい。なお演奏の前と後にラジオ・アナウンスがあります。また第1楽章の途中1ヶ所で「ピー」という機械音が入り 驚かされます。各楽章の終わりで拍手あり。
−[2]のザイデルはロシア・オデッサ生まれ (1899- 1962)。3歳から叔父からヴァイオリンの手ほどきを受け、1909年から地元の音楽院で学びました。1912年からペテルブルク音楽院でレオポルト・アウアーに師事し、1915年 デンマーク・クリスチャニアでデビュー。しかしロシア革命による社会主義化を避けて1918年にアウアーと共に渡米。カーネギー・ホールでアメリカ・デビューを飾りました。ハイフェッツのライヴァルと目されていたようですが、1930年代後半からLAに移住。移住後はハリウッドのミュージシャンとして多くの仕事をしたとのことですが、当放送用ライヴ録音が残っているように、クラシックの演奏もしたのでしょう。太い音が印象的。ポルタメントを駆使してはいますが、案外冷静です。−オケ名は記されていませんが、ラジオ・アナウンスでは「ハリウッド ホウル管」と言っています。
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